言霊012



今回はかなり内容が重いです。

『読みたくない』そう思われる方は

飛ばしていただきたく思いますが、

私の“今の本音”を書きたいとおもうので、

逆に『わたしにとって身近な方々』には、

是非とも覚悟をし、読んで頂ければと

思っているのが“本音”です。

書きます。

私は少しずつ、“最期”に向けての準備を

始めています。

内容は極めて具体的、かつ家族にもその為に

覚悟をきめて、話をすすめはじめました。

もちろん、“命を諦めているわけ”では

ありません。

ここで大きな矛盾がひとつ発生しますが、

これは今の自分にとっては“矛盾”とは

少し意味合いが違います。

『冷静に考えられるうちに少しずつ、

 最期を迎える準備を、

 後悔のないように始めている。』

母は毎日言います。

『今日も元気だ。顔色もいい。

 先の話なんてしなくていい』と。

『そうだよね、私だってそうおもう』

と言いながらも、エンディングノートに

今日もひとつ思いを綴る。

自分の思いを書き足しました。

すべては、自分のため。

残されていく家族が、私の為を思い、

私の意向に添う形での“最期を迎えるため”に

今から準備を始め、少しでも楽になる為にと

考えているからです。

そして、『会いたい』と来てくれる友人には

優先的に会い、手紙をくれる友人には

手紙を書き、別れの度に次回の元気な

再会を心の底から願いながら、

でもどこかで『これが最後のハグかも』と

覚悟はしています。

再びをかたく、かたく、

信じているけれど。

“再び”が来るかはわかりません。

だから“またいつか会える”ではなく、

私の体調が良ければ、

“今ならまだ元気に話せる状態”で

“今”、会っておくことがベストで

あると感じます。

でも、自分の体はひとつなので。正直

すべての人に会えるとは限りませんが。

それでも、2度、3度会えれば何度だって

会えばいいし。

たった一度でも、私に会いに来てくれた

ということだけで私は幸せになれるのです。

検査の兼ね合いや、体調により、

長い時間の面会はなかなか叶いませんが

まとまって来てくださると、

本当に助かります。

皆様のなかにも、

『あのときよしちゃんに会っとけば

 良かった』

という後悔だけは残さないように

お願いいたします。

みんなと笑顔で会える“今”という時間を

大切に過ごしたい。

今の自分にとってはそれが最高の幸せです。

みんな、会いに来てくれてありがとう。

私に会いたいと思ってくれてありがとう。

例え会えなくても、思ってくれていれば

その思いは通じています。

本当にありがとう。



話は変わります。

今、大切な仲間が岐路に立っています。

“抗がん剤をするべきか”

“抗がん剤をやめるべきか”

私の場合は、現状の体力では作用にみあうだけの

副作用に耐えうる自信も

無いため。

また、そこまでの効果が期待できないと

主治医も私も判断しているため、

抗がん剤という手段は使っていません。

現状、仲間の状態ではまだ抗がん剤は

使うことができ、恐らく

『腫瘍自体を現状より悪化させない効果』

に関しては、私が現状抗がん剤をするよりも

断然可能性はあります。

ただ、仲間はもう数ヶ月まともな“食事”

『普通の食事』は口に出来ていないようで

ゼリーやプロテインで栄養状態を維持しながら、命を繋いでいます。

ここで重要なのは、それでも“生きている”ということ。

ただ、“生きている”ということと、

“自分らしく、楽しく生きる”と言うことは

私は違うと思います。

私は現状抗がん剤も叶わず、

丸腰でがんと向き合い、からだのなかでは

ガン細胞が爆発的に増殖をきっと

続けています。

痛みもあるし、まぁ健康ではないし、

血圧も高いし、味覚もおかしいけど。

多くはないけど、ご飯は食べてます。

お菓子だって食べてます。

好きなものを食べれるうちに食べてます。

それが私の唯一の楽しみだから。

でも、仲間は抗がん剤が出来ても、

食の楽しみはほぼないに等しい。

それは果たして幸せなのか。

“道”はあるのに、その道を選ばないことは

“逃げる”ということなのか。

では…仲間にとっての幸せとはなんなのか。

人それぞれ見解は違います。

あくまでこれは私の考えですが。

要は、命があっても、

そこに“楽しみ”や“喜び”がなければ、

それは“自分らしく生きている”

ということには繋がらない。

それははっきりいって、

生きていても、

その人のなかで“死んでいる”に等しいのでは

ないのでしょうか。

私は今まで。

現実から目を背けず、

真っ直ぐ目標に向かって生きる道を

ただひたすら信じ邁進してきた

その灯台のような仲間の姿を

追って来ました。

見てきました。

近くにいなくても。

例え隣にいなくても。

年齢や、社会経験、生活環境は全く違っても。

ブログで私のことをその人が見つけてくれて

“一緒に頑張ろう”と声をかけてくれたその日から、運命共同体だから。

今の仲間の気持ちを、少しはわかるつもりでいます。

この声は、今の仲間には届かないかも知れません。

でも。いつか届くと信じて書きます。

『あなたはもう十分頑張った。もう頑張らずに、時と共に流れる時間に

 すべてを任せればいい。ここで抗がん剤をやめることは

諦めじゃない。逃げじゃない。

 やりたいと再び思えば、その時

 やればいい。

 その時には効果が期待できないかも

 知れないけど。その時は共に運命を

 受け入れよう』

『私はただ、あなたに幸せでいてほしい。

 ただ笑っていてほしい。』

『ただ楽しく生きてほしい』

そう、言葉を送りたい。

今は届かなくてもいい。

ただ、いつかその言葉が必要になったとき、

またこんなブログを私が書いていたことを

頭のすみにちょっと置いててくれたら嬉しいな。

そう思います。

言葉の力は時には無力だけど。

必要な時が来れば、必ずやその人の心に

届き下支えしてくれると信じています。

長くなりましたが、私からのエールでした。

その仲間だけでなく、この同じ空の下

今日この瞬間もすべての仲間に。

最大限のエールを送りたいと思います。


byよしちゃん

20150520 享年33歳。


言葉は無力ではない。 非力かもしれない。

ダイイング・メッセージではなく、エールそのものである。

この方の足跡には、ただただ尊敬の念を抱きます。

ひとつ上の言霊 ~KOTO・DAMA~

言葉は生きている。  言葉で生きていく。  言葉で生かされている。 そんな言霊を拾っていこう。

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